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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(行ツ)2号 判決

上告人

山口県教育委員会

右代表者教育委員長

井上謙治

右訴訟代理人弁護士

堀家嘉郎

被上告人

多治比丈夫

被上告人

久保輝雄

被上告人

五十川偉臣

右三名訴訟代理人弁護士

尾山宏

鷲野忠雄

右当事者間の広島高等裁判所昭和四八年(行コ)第三号懲戒処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五二年一〇月七日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人堀家嘉郎の上告理由第四の一、二について

原審が適法に確定した事実関係の下においては、被上告人五十川について、その言動が生徒の本件学力調査拒否行動に影響を及ぼした面のあることは否定できないとしても、所論事実関係をもって生徒に対する受験拒否の教唆・扇動があったものとみることはできないとした原審の判断は、是認しえないものではなく、原判決に所論の違法があるとはいえない。論旨は、採用することができない。

同第一ないし第三及び第四の三について

地方公務員法(以下「法」という。)は、職員につき同法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかについては、当該組織の事情に通暁した懲戒権者の広範な裁量に委ねているものと解すべきことは所論のとおりであるが、右の裁量は恣意にわたることをえないものであることももとより当然であって、処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合には違法であると判断すべきものである(最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。そして、この理は、公立学校の教員に対して行われる懲戒処分についての司法審査においてもなんら異なるものではない。

これを本件についてみるに、被上告人多治比に対する本件懲戒免職処分については、上告人主張の処分事由は、同被上告人は本件学力調査の実施に反対する目的で次のような違法行為を行った、すなわち、(1)授業時間中生徒に対し、再三にわたり「学力テストは違法である。学力テストは人間に差別をつけるために行われるものであり、その結果は一生ついてまわる。」などと話をして、受験を拒否するように教唆・扇動した、(2)(ア)本件学力調査実施前日の職員会議において、組合員の主導的立場に立って校長に対し職務命令の撤回を要求し続け、正規の職務を行わず、(イ)学力調査第一日目の職員朝礼において、原田、国光及び被上告人久保らと共同の意思の下に、学力調査実施にあくまで抵抗を示す目的で、校長に対し、白紙答案や無記名答案が出た場合にも教師の責任は問わない旨を文書で確認するよう要求し続け、職員朝礼を延引させて学力調査開始時刻を遅らせ、(ウ)右同日第一時限目に、担任の三年七組の教室において、テストを受けようとして教室に残っている生徒の面前で職務命令書を読み上げ、(エ)学力調査第二日目の職員朝礼において、校長に対し、宇部市教育委員会(以下「市教委」という。)の三原主事らが前日の受験拒否生徒の家庭を訪問して正常に受験するように説得した行為を執ように非難し、同主事をこの場に呼んで事情を聞くことを要求し続けるなど、一連の服務上の義務違反行為を行った、というものであり、以上の違法行為が原因となって、厚南中学校の三年生の多数が白紙や無記名などの不正常答案を提出したほか、受験そのものを拒否して教室外に出たりし、特に、被上告人多治比の担任する学級では正常に受験した生徒は皆無であって、生徒に対する教育効果の破壊をもたらし、父兄に対しても強い衝撃と教師に対する不信の念を与えた、というのである。しかし、原判決は、右(1)の処分事由については、被上告人多治比が生徒に対し受験拒否を教唆・扇動したものとは認められない、というのであり、また、右(2)の一連の服務上の義務違反行為及びこれによってもたらされた結果には重大なものがあるけれども、右のような混乱を招いた責任の一端は学校行政を行う側にもあり、更には、被上告人らの行為に同調し協力した組合員にも相当の責任があり、上告人らにのみその責任を負わせるのは相当ではない、というのである。そして、原審が確定した事実関係の下においては、右のような見方も肯認しえないものではなく、右(2)の違法行為に対する責任という観点からすれば、これにつき懲戒免職処分をもって臨んだことは過酷に失し、結局本件処分は社会通(ママ)念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えたものとした原審の判断は、是認できないものではない。

次に、被上告人久保に対する本件懲戒免職処分については、上告人主張の処分事由は、同被上告人は次のような違法行為を行った、すなわち、(1)昭和三八年度に担任した三年六組の生徒の指導要録を提出期限後一年近くも放置した後に提出し、しかもその作成した指導要録の原本や抄本の内容がずさんである、(2)昭和三九年七月七日午後、休暇願を提出するようにとの教頭の要求を拒否して、休暇の承認のないまま職場を離れ、沖縄解放国民大行進に参加した、(3)昭和四〇年一月一四日及び一六日、年次有給休暇の手続をとるようにとの校長の要求を拒否して、休暇の承認のないまま欠勤し、日教組教育研究集会に出席した、(4)同年二月三日、なんらの連絡をしないまま無断欠勤して、佐世保市で行われた原子力潜水艦入港反対デモに参加した、(5)本件学力調査の実施に反対する目的で、(ア)昭和三九年六月二〇日の職員朝礼において、校長が該当職員に対し職務命令書を配布したことに対し、「今後学校運営に支障が起ってもよいのか。ぼくの責任で職務命令を全部返上する。」と怒鳴りながら激しく抗議し、(イ)右同日、授業時間中にもかかわらず、組合員を招集して職場会を開催し(約三〇分間継続)、(ウ)さらに、右同日午前一〇時ころから正午過ぎまで、他の組合員とともに校長室に押しかけ、校長に対し職務命令の撤回を要求し続け、(エ)本件学力調査第一日目の六月二三日の職員朝礼において、前記被上告人多治比についての(2)(イ)のとおり、いわゆる無答責確認問題を持ち出し、職員朝礼を延引させて学力調査実施に抵抗するなど、一連の服務上の義務違反行為を行った、というものであり、右処分事由の存在は原審の認定するところである。確かに、被上告人久保の右のような行為は、同被上告人が教育公務員としての職務の公共性、重要性に対する認識に欠けることを示すものであり、教師として生徒を教育すべき立場にある者の行為として、その違法性及び責任は決して軽くみることのできない性質のものであることも所論のとおりであるけれども、他方、原審の確定した事実関係の下においては、右(1)ないし(4)の非違行為による現実的影響はそれほど大きなものではなかったことが窺われ、また、右(5)の行為については、先に被上告人多治比について述べたところと同様であるから、右非違行為に対し懲戒免職処分をもって臨んだことは過酷に失し、社会通(ママ)念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えたものとした原審の判断は、是認できないものではない。

さらに、被上告人五十川に対する本件懲戒免職処分については、上告人の主張する処分事由は、同被上告人は次のような違法行為を行った、すなわち、(1)本件学力調査に反対するため、授業時間中やいわゆる日記指導を通じて、生徒に対し、「学力テストは違法である。学力テストは人間に差別をつけるために行われるものである。学力テストの結果は一生ついてまわる。」などと、学力調査に対する反対意見を述べ、受験を拒否するように教唆・扇動した、(2)生徒が本件学力調査の受験拒否をすることを事前に熟知していながら、なんらの指導をしなかったばかりか、これを是認し、しょうようしていた、(3)本件学力調査実施後、校長から受験を拒否した生徒に対してその反省を指導すべき職務命令を受けたにもかかわらず、これを拒絶して命令に従わなかった、(4)生徒に対し、毎日日記を書いて提出させ、これに感想を書いて返すという日記指導により、生徒に対して階級闘争的な思想を押しつけた、というのである。しかしながら、原判決は、右(1)の処分事由については、被上告人五十川が生徒に対し受験拒否を教唆・扇動したとまでは認められないというのであり、この判断が是認できることは先に上告理由第四の一、二について述べたとおりである。また、右(4)の日記指導も特定の政党の支持や階級闘争的な思想を押しつけたとまでは認められないというのである。そして、安下庄中学校の場合、生徒の受験拒否による混乱も厚南中学校の場合に比較して軽度のものであり、日記指導にしても実害として見るべきものも表れていない、というのであって、原審の認定に係る処分事由を前提とする限り、これに対し懲戒免職処分をもって臨んだことは過酷に失し、社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えたものとした原審の判断は、これを是認することができる。

論旨は、被上告人らが本件学力調査について階級闘争思想むき出しの政治的な評価を下し、その実施を阻止しようとの目的のために一連の違法行為を重ねたものであるとして、かかる行為の動機目的を原判決が考慮していない旨非難するが、右は原判決の認定しない事実に基づいてその不当をいうものにすぎず、採用することができない。

また、論旨は、原判決が被上告人らについて「相当長期の停職処分をもって相当」と説示した点をとらえて、原判決のいう「相当長期」とは六月を超える期間を意味するとの解釈を下し、その前提の下に、原判決には法二九条二項、山口県「職員の懲戒の手続及び効果に関する条例」四条の解釈適用を誤った違法がある旨非難するが、原判決は被上告人らの責任が所論国光の責任より重いという説示をしているわけではなく、単に国光の違法行為との比較において原判決の右判示部分を所論のように解するのは失当である(ちなみに、原判決は国光に対する停職六月の処分が社会観念上著しく妥当を欠くとはいえないとしているものにすぎない。)のみならず、右説示から原判決が懲戒権者の立場に立って処分の軽重を比較しているものと断ずることはできないから、原判決に所論の違法があるとすることはできない。

以上のとおりであるから、被上告人らに対する本件懲戒免職処分がいずれも違法であるとした原審の判断は、是認するに足り、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官木戸口久治の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官木戸口久治の反対意見は、次のとおりである。

私は、被上告人らに対する本件各懲戒免職処分が社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えたものであって違法であるとした原審の判断を是認できるとする多数意見の趣旨が本件被上告人らの所為を弁護しようとするにあるものでないことを理解しないわけではないが、本件各免職処分を取り消すことを是認する多数意見にはやはり同調することができない。その理由は、次のとおりである。

一  原判決は、本件被上告人三名に対する処分については、「相当長期の停職処分をもって相当」と判示し、本件被上告人らに対し免職処分をもって臨むことは過酷であって、裁量の範囲を超えた違法がある、としている。確かに、公務員に対する懲戒免職処分が、被処分者を公務員関係から排除するものであり、退職手当や退職年金等についても特別の不利益を伴うものであって、停職等他の種類の処分に比し格段に厳しい処分であることは明らかである。しかしながら、裁判所において公務員に対する懲戒処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか、また、いかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と現実の懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものであり(最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)、かかる司法審査の態度は、免職処分であると停職その他の処分であるとで異ならない。これを本件に即していうならば、仮に、上告人の行った本件懲戒免職処分に相当厳しい姿勢が感ぜられるとしても、懲戒権者である上告人がその権限に基づいて行った処分について、裁判所が免職は過酷であり、むしろ長期の停職処分が相当であるなどとして処分の軽重に容かいするには、裁量権の濫用の有無につきよほど慎重かつ周到な考慮をめぐらした上でなければならないものと考える。

二  まず、本件懲戒処分の背景となったと思われる諸事情を大局的にみると次のとおりである。

昭和三九年六月二三、二四日の両日全国一せいに実施された昭和三九年度全国中学校学力調査において、山口県の宇部市立厚南中学校と大島郡橘町立安下庄中学校の二校で、多数の生徒が教室外に出て公然と受験を拒否するという全国的にも類をみない異常な事態が発生した。しかも、右両校に共通して特徴的なことは、受験拒否をした生徒が被上告人らの担任する特定の学年、学級に際立って多いということであった。右の事件は、当時、新聞、テレビ等により全国的に報道され、右両校の父兄を始め県民に強い衝撃を与え、教師の教育姿勢に大きな不信の念を惹起させた。同年九月一七日厚南中学校長山本章一は右事件の責任を感じ、苦悩の余り自殺した。そして、同月二九日には宇部市議会において「教育正常化に関する決議」が満場一致で可決され、また、山口県議会においても、同年一〇月三一日「山口県教育の正常化に関する決議」が可決された。以上の事実は原審の認定するところである。したがって、本件懲戒処分は、右のような経緯から世間一般が注視する中で、懲戒権者である上告人が、後記被上告人らの個々の行為の動機、性質、態様、結果、影響等諸般の事情について慎重な調査、考量を経て行ったものであると考えられる。

三  ところで、中学校における普通教育においては、未だ生徒に教授内容や教師の日常の言動を批判的に摂取する十分な能力が備わっているものとは認められず、学校における授業の内外を通じて教師は生徒に対して非常に強い影響力、支配力を有するものであり、また、生徒及び保護者の側に学校や教師を選択する余地が乏しいものであることに思いをいたせば、普通教育の任にあたる教師には常に自己の言動が生徒に与える影響を自覚、反省し、中立の立場で生徒に接するとともに、その勤務時間中は全力を挙げて生徒の教育にあたることが強く要請されているものといわなければならない。ことに、教育政策上種々議論のある問題が生起した場合には、教師たる者は、自己の教育理念に基づく一定の見解を有することは至極当然というべきであるが、かかる場合にあっても、自己の見解は多様な見解の中の一つであることについての自覚と自己の職務の公共性に対する認識とを常に忘れてはならないのであって、国及び地方公共団体の教育行政機関が実施を決定した事項について教師が批判的な見解を有するときは、これを決定した教育行政機関や当該学校においてその実施の責任者にあたる上司たる校長に対して率直に自己の見解を表明し、その反省を促し、あるいは自己の見解や立場に対する支持・賛同を求めて右施策に対する反対の世論を形成すべく真摯に努力することが一定の範囲において許されることは当然であると思われるが、この場合でも、教師は、生徒に対する教育の現場においては、その職務の公共性、中立性を厳に保持すべく、生徒に及ぼす影響に細心の配慮をもってその職責を遂行することが義務付けられているものであり、本件学力調査のように、生徒を対象として実施される事項について授業時間等において自己の批判的意見を直接生徒に教示し、あるいは授業を行うべき時間帯において公然たる学力調査反対行動を行うことによって学校の正常な教育運営を阻害し、ひいて生徒に心理的動揺と混乱を与え、正常な調査結果の実現を阻害することは、重大な職務上の義務違背というべきものである。ところで、原審の確定するところによれば、本件学力調査は、「義務教育の最終段階である中学校第二学年及び第三学年の全生徒の国語、社会、数学、理科及び英語についての学力の実態をとらえ、教育課程に関する方策の樹立、学習指導の改善に役立てる資料とする。調査の結果は、教育条件の整備にも利用するものとする。」との目的の下に、文部大臣の要請に基づき上告人及び山口県下各市町村教育委員会においてその実施を決定し、管内各中学校長に対してその実施を指示したものであって、かかる学力調査は、その手続においても実質においてもなんら違法ということのできないものである(最高裁昭和四三年(あ)第一六一四号同五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号六一五頁参照)。したがって、本件学力調査が右のようなものであり、かつ、その実施が適法に決定されているものである以上、教師は、たとえ本件学力調査の実施に対し自己が反対の意見を有しているとしても、生徒の教育にあたるべき場面においては、自己の言動が生徒に及ぼす影響を十分に考慮し、調査対象たる生徒に受験に対する不安、動揺を与えるようなことは許されず、むしろ所与の条件の下で生徒が十分にその能力を示し、公正な調査の結果が得られるように生徒を指導すべきことがその職務上の義務として要請されているものというべきであって、いやしくも自己の学力調査に反対の見解を生徒に反映させ、生徒を学力調査反対行動に巻き込むような言動を行ったときは、その行為は、公教育の任にあたる教師の職務上の義務に違背するものというべきである。

四  そこで、以上の見地に立って、原審の確定したところに基づき、被上告人らに対する本件懲戒免職処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したものと評価すべきであるかどうかについて検討する。

1  被上告人多治比について

(一) 原審の確定するところによれば、被上告人多治比、同久保らが所属する山口県教職員組合(以下「県教組」という。)宇部支部厚南中学校分会(以下「分会」という。)は、本件学力調査実施の前日である昭和三九年六月二二日、組合員を招集しての職場会に引き続き、当日の授業時間のほとんどを生徒に自習を強いることとなった職員会議の開催を山本校長に同意させ、学力調査実施に関する校長の職務命令の撤回要求の場としたものであるが、(1)被上告人多治比は、その際、右分会の主導的立場に立って、分会長の原田やその他の組合員とともに、激しい口調で、かつ、廊下まで響くような大声で、執ように職務命令の撤回を要求し続け、そのため、生徒が教室から出て廊下で騒ぎ、しまいには教師がかわるがわる教室で自習をするよう注意しても効果がなくなるほど学校全体の秩序が混乱状態に陥り、このような同日の状況は、同校生徒に本件学力調査受験に対する不安、動揺、更に焦燥感を与え、翌日及び翌々日の生徒の受験拒否行動に大きな原因を与える結果となった、(2)また、被上告人多治比は、右同様組合の主導的立場に立って、率先して、(ア)本件学力調査第一日目の六月二三日の職員朝礼において、本件学力調査実施にあくまで抵抗を示す目的をもって、生徒が白紙答案や無記名答案を提出した場合の教師の無答責確認問題を持ち出し、山本校長に右の確認書を作成するよう執ように要求し、これにより右職員朝礼を延引させて学力調査開始時刻を二〇分間も遅らせ(この間に、被上告人多治比の担任学級においては、男子生徒の大多数が受験を拒否して運動場に出た。)、(イ)さらに、六月二四日の職員朝礼において、山本校長に対し、市教委の三原主事らが受験拒否生徒の家庭を訪問して正常に受験するように説得した行為を執ように非難し、同主事をこの場に呼んで事情を聞くことを要求し続ける等の行為を行ったものであり(このため職員朝礼が長びき、生徒が運動場に出るきっかけを与えた。)、右の各行為は、いずれも生徒が運動場に出て受験拒否の直接行動に踏み切る原因を与えたものと認められる、というのである。

右の経緯に照らせば、被上告人多治比は、教育の現場において、生徒に及ぼす影響をも省みず、分会の主導的立場に立って数々の違法行為を重ね、学力調査実施の阻止闘争を行い、これによって学校教育の秩序を極度に乱したばかりか、被上告人多治比らの示した校長に対する公然たる反抗の言動は生徒の心を動揺させ、集団で教室を出て受験拒否を行うという異常な事態にまで発展させたものというべきであり、その責任は極めて重大であるといわなければならない。そして、山本校長は、被上告人多治比らの主導の下に、全校教職員の三分の二以上を占める組合員の攻撃の矢面に立たされ、その結果学校全体が混乱状態となった責任を強く感じて苦悩の余り自殺したものとみられるのであって、これは、事態の深刻さをあらためて想起させるものであり、ひとりの尊い生命の犠牲をもたらせたことが、被上告人多治比らの違法行為の激しさ、執ようさ、悪質さと無関係のものとみることはできない。

(二) のみならず、原審の確定するところによれば、被上告人多治比には、本件学力調査実施の前後に、同調査に関して直接生徒に対し、次のような言動があったというのである。すなわち、(1)被上告人多治比は、昭和三九年四月末ごろの生徒の家庭訪問の際、案内をしてくれた生徒から学力調査に対する見解について質問を受け、それには反対である旨答えた、(2)また、同年六月ごろ、校内運動場の鉄棒付近で遊んでいた数人の生徒の一人から学力調査についての意見を聞かれ、結論的には組合員であるから反対である旨断片的な説明を加えて述べた、(3)さらに、本件学力調査第一日目の第一時限に担当の三年七組の教室において、生徒に問題用紙を配布した際、生徒の面前で職務命令書を読み上げた、(4)しかも、被上告人多治比は、本件学力調査実施後、担任の三年七組の生徒に対し、他の中学校の生徒から送られてきた学力調査反対行動を称賛する手紙を読んで聞かせた。

以上のような被上告人多治比の言動に、記録によって明らかな次のような生徒の受験状況、すなわち、被上告人多治比の担任の三年七組は、全教科を通じて正常受験者が皆無という極めて異常な結果が現われていること、ことに、本件学力調査第一日目第一時限に最初に運動場に出て受験を拒否した生徒二〇数名は、大部分被上告人多治比の担任学級の男子生徒(教室に残っていたのは男子生徒のうち四、五名)であったこと、及び被上告人多治比が前記(一)(1)のような違法行為を行った状況の中で生徒から「多治比ガンバレー」と記載されたビラを校長室にけり込まれるほど教育現場において公然たる学力調査反対行動を行っていたことなどの事実関係からみれば、被上告人多治比が授業時間の内外を通じて生徒に対し、むしろ積極的に自己の学力調査反対の見解を表明し、かつ、それを行動にも現わし、暗に生徒が自己の見解に同調し、白紙、無記名答案の提出等なんらかの反対行動に出ることを期待し、しょうようする態度をとっていたものと推断するに難くないものといわなければならず、かかる指導態度をとることは、前叙のとおり、たとえそれが教唆・扇動の程度に至らないものであっても、それ自体教育公務員としての職務上の義務に違背するものというべきである。

したがって、被上告人多治比について生徒に対する受験拒否の教唆・扇動があったとの処分事由はこれを肯認しえないものであるとしても、右の点は、本件処分の情状としてこれを軽視することができないところであるといわなければならない。

(三) 以上のとおり、被上告人多治比が公立中学校教員としてその職務上の義務に違背し、これによって正常な学校運営を阻害したばかりか、結果として担任学級の全生徒を巻き込んで受験拒否行動に走らせ、生徒の父兄を始め地域住民にも深甚な衝撃を与え、その学校教育に対する信頼を著しく傷つけたこと等に照らせば、原審が挙げる諸事情を考慮したとしても、被上告人多治比に対する本件懲戒免職処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいえず、他にこれを認めるに足る事情もないというべきである。

2  被上告人久保について

(一) 原審の確定した事実経過に徴すれば、被上告人久保の行為のうち、本件学力調査実施阻止の目的で行った一連の行為によってもたらされた混乱及びその影響については、右被上告人多治比に関して述べたところと同様である。なかんずく、六月二〇日の職員朝礼において山本校長が職務命令書を配布した際、被上告人久保が突然立ち上がり、こぶしを震わせて、同校長に対し、「職員の気持を踏みにじってもよいのか。今まで校長が言ったすべてのことは偽善であったのか。今後学校運営に支障が起ってもよいのか。ぼくの責任で職務命令を全部返上する。」などと激越な言辞をもって行った激しい抗議行為、及びその直後組合員に対し、校長が職務命令書を配布したことについて職場会を開くので生徒に自習を命じて礼法室に集合するよう呼びかけ、授業時間中にもかかわらず、組合員を礼法室に参集させて約三〇分間にわたり職場集会を開催し、校長に対して前記職務命令を撤回した上で本件学力調査について討議するよう要求することを申し合わせた行為は、これ以後、厚南中学校の教師及び生徒の全体を巻き込み、その正常な学校運営を阻害することをもかえりみず敢行された被上告人久保らの本件学力調査実施阻止闘争の過激な路線を決定づけたものというべきであり、これに口火をつけた被上告人久保の責任は軽視することができないところである。

また、被上告人久保の指導要録の作成・提出に関する職務義務違背行為によって、昭和三八年度の厚南中学校三年生全体の指導要録の整理が一年近くも遅れたばかりか、被上告人久保が作成した右生徒指導要録の原本と抄本との不一致は、県立高等学校進学者一九名中一二名の者について存し、しかも高校に送付された抄本記載の成績、評定が原本のそれより悪く記載されているものも少なからず存するのであって、その不一致の内容、程度からみて、当該生徒及びその父兄はもとより、一般の生徒、父兄にとっても、このような無責任極まりない職務を行う教師の存在は容認し難いものであるといわなければならない。

さらに、被上告人久保は、約半年余りの間に、(1)休暇願を提出するようにとの教頭の指示に反し、組合の執行委員として参加するから休暇の手続は不要であるとして、沖縄解放国民大行進に参加するため休暇の承認のないまま職場を離れ、(2)年次有給休暇手続をとるようにとの校長の指示に反し、「あくまでも特別休暇で行く。あとの交渉は組合に任せる。」といって、日教組教育研究集会に参加するため休暇の承認のないまま欠勤し、(3)事前に十分な余裕があったにもかかわらず、学校になんらの連絡もしないで欠勤し、佐世保市で行われた原子力潜水艦入港反対デモに参加するという再三にわたる職場離脱、欠勤行為を敢行したものであって、かかる行為は、教育公務員としての職務の公共性に対する認識とその遂行に対する責任感とに欠ける行為であるのみならず、教育現場の規律を乱し、学校及び教師に対する父兄の信頼を著しく失墜させる性質のものであり、単に実害の有無によって責任の軽重を論ずることのできない性質のものである。なお、その評価は分かれるにしても、被上告人久保には、昭和三九年五月六日無断職場離脱を理由に訓告処分を受けた経歴もある。

(二) さらに、原審の確定するところによれば、被上告人久保には、右行為以外にも、(1)学校の規則を無視して出勤簿への押印を拒否し続け、(2)市教委との交渉に酒気を帯びて参加し、暴言を吐いて退場を命ぜられ、関係者のひんしゅくを買うなどの行為があった、というのであり、これらに照らせば、同被上告人は、生徒の教育の任にあたる者として、学校の規律や教師の品位を守るべき自覚と節度にも欠けるところがあったことは明らかである。

(三) したがって、以上の諸点に鑑みれば、原審が挙げる当時二六歳くらいという年齢を考慮に入れても、被上告人久保に対する本件懲戒免職処分が社会観念上著しく妥当を欠くということはできないものというべきである。

3  被上告人五十川について

私は、原審が確定した事実関係の下において、被上告人五十川については、本件学力調査の実施前、教育の機会を利用して、生徒に対し受験拒否を扇動する行為があったとみるのが相当であると考える。その理由は、次のとおりである。

(一) 本件学力調査に関する被上告人五十川の行為に関して原審の認定するところは、おおむね次のとおりである。

(1) 被上告人五十川は、昭和三六年以来学力調査の実施に強く反対し、大島支部書記長として、父兄との懇談会をもったり、ビラ配布やステッカー張りをするなど、公然かつ積極的に学力調査反対の活動をしていた。本件学力調査実施当時、安下庄中学校における県教組組合員の教師は、病気休職中の一名を除いて被上告人五十川だけであった。

(2) 被上告人五十川は、昭和三九年四月から二年五組の学級担任をし、かつ、第二学年の国語の授業を担当していたものであるが、本件学力調査実施前のホームルームや授業時間等において、学力調査に関する生徒の質問に対し、次のとおり説明した。

(イ) どういう形式の問題なのかという問に対し、「四つか五つ答が用意されていて、その中の正しいものに丸をつけるんですよ。すべてと言っていいくらいそれですよ。」と、「それじゃまぐれで四つか五つに一つあたるではないか。」との問に対し、「それはそのとおりです。」と。

(ロ) 学力調査を違法とする判決が出ているのではないかとの問に対し、「違法の判決も出ているし合法の判決も出ている。しかし、学校というところはみんなのように選挙権のない人達にこっちの思うところを押しつけるところなので、合法の判決も出ているし違法の判決も出てるようなことについては、私はみんなに押しつけるのはどうかと思う。」と。

(ハ) 成績と関係があるかとの問に対し、「みんなの勉強の結果なんかを書きとめておく指導要録というのがあって、それに書き込ませるということが未定なんだ。もし書き込ませるということになれば、出てる数字だからすぐ書き込める。」と、「それ(指導要録)は何にするのか。」との問に対し、「それは例えば君達が高校を受ける場合には、その写しが高校に行くんですよ。」と。

(ニ) 学力調査の目的は何かという問に対し、文部省のいう目的について話をし、そのあとで、「文部省のいうようなことは無理に学力調査をやらないでも分かるように思う。」旨の意見を。

(ホ) 「このテストに対してどうすれば良いか。」とか、「白紙で出したらどうなるのか。」という質問に対し、「私はそれに答える立場にはありません。」と。

(3) 被上告人五十川は、教師となって以来、担任の生徒又はかつて担任であった生徒に毎日、日記を書いて提出させ、これに批評又は感想を書いて返すという方法のいわゆる日記指導を採用してきたものであるが、本件学力調査に関して書かれた生徒の日記について、右(2)と同様の日記指導を行った。なお、乙第二一号証、第二二号証の一、二によれば、例えば次のような日記指導をしたことが記載上明らかである。男子生徒の一人が本件学力調査実施前の六月八日の日記に次のように記載した。「今日テストの話を先生がした。日本はテストのやり方、テストに対する考え方、勉強のし方、勉強に対する考え方がまちごうちょるなあわかった。こりょききよったら民主主義じゃないみたい。さいばんをみても、つい金持ちのために、金持ちがもうけるために、日本の全部の勉強のし方をへんな方向に向きようる。……へじゃがここでぼくらが反対して、正しゅうやっても結きょくなんゆうこたあない。……かえようとへんにゃいけんなわかるが、ほいだけ勇気もないよ。……」これに対して被上告人五十川は次のように日記指導している。「きみだけいやなら世の中はかわらんけど、みんながいやでそれを口に出し、行動すれば、世の中の方がかわる。……」と。また、女子生徒の一人は、学力調査第一日目の六月二三日の日記に次のように記載した。「三課目全部白紙で出した。名前書いていたのも消した。たしかに文部省の反対にたった。そりゃ、すなおな受け方じゃなかった。……あすは書こうかと思う。五課目白紙(のつもり)だったけど変わる。でも、これがいいと思った。……これは先生が信じられないからじゃない。もうこれでいいと思う。目的を達している。……」これに対して、被上告人五十川は、「このあとが大へんよ。自分たちのたたかったことのいみ、こんごの方向なんかについてじゅうぶん話しあわんと。……」と指導している。更に、先の男子生徒が七月一日の日記に、組の者が受験拒否をしたのは学校全体を不幸にし、皆に迷惑をかけたと思うと書いたのに対し、被上告人五十川は、「そのかわり、全国でこのテストにくるしめられているたくさんの友だちには、大きなはげましになっている。ムリヤリやらせようとする人たちに反省を与えている。……」と指導している。

(4) 被上告人五十川は、本件学力調査実施の数日前、生徒の間に本件学力調査受験拒否の動きのあることを知りながら、生徒から受験拒否について意見を求められて「自分はそれに答える立場にない。」旨応答し、かつ、右受験拒否の動きのある生徒のうちわずか一名の女生徒(父親は保守系の町長、母親は被上告人の立場からは警戒を要する人物)の家庭を訪問し、右生徒に対し学力調査を受験するようにいったのみで、他に右生徒の受験拒否の動きを阻止すべきなんらの措置も講じなかった。

(5) 本件学力調査の実施された昭和三九年六月二三、二四日の両日、安下庄中学校の三年生は異常なく受験したのに、被上告人五十川が授業を担当していた二年生にのみ、教室外に出て受験を拒否したり(四組と五組の生徒に限られる。)、白紙答案や無記名答案を提出するなどの生徒が現われた。特に、被上告人五十川の担任学級である五組については、教室外に出た生徒が多かったばかりか、最後まで白紙・無記名答案の提出者が多かった。しかし、他の学級を見ると、二組と四組は第一日目の一、二時限は白紙・無記名答案の提出者がクラス生徒の半数を上回るほどであったが、三時限目以降急に減少し、正常受験に戻ったクラス(二組)もある。三組は第一日目に一名の欠席があったのみで、他は両日とも全員正常に、一組は一名の欠席者を含み三名を除いて他の生徒は両日とも正常に受験した。

(6) 本件学力調査を拒否した生徒の中には、拒否の理由として、「学力テストは文部省が無理矢理やらすから。」、「進学や就職に影響するから」、「マルバツ式だから学力がよくわからない。」などと主張するものがあった。

(7) 本件学力調査後の同年八月二七日、川野校長が被上告人五十川に対し、担任の二年五組の生徒が本件学力調査の受験を拒否したことに関し、当該生徒に対してその行動が誤っていたことを指導するようにと話したところ、同被上告人は、生徒の行動が誤りであると決めつけることはできないし、自分自身学力調査を正しくないものと考えるので、同校長のいうことが要望であればそれに従わない旨答えた。そこで、同校長が右のように事後指導をすべき旨の職務命令を出すと告げたところ、被上告人五十川は、職務命令であれば従うが、生徒には校長から右命令を受けたことを伝えた上でこれを実行する旨述べ、これに対し、同校長がそのような前置きをつけるのはかえって生徒を混乱させるとして、前置きを除いて無条件で指導するよう命じたところ、同被上告人は、そのような事後指導はできないとしてこれを拒否した。

(二) 以上のような事実関係からすると、他に特段の事情が認められない限り、被上告人五十川については、前記(一)の(2)、(3)のような教育活動を通じて、生徒に対し、学力調査の非合理的側面をことさら強調し、暗に、生徒が本件学力調査に際し白紙答案や無記名答案を提出するなどなんらかの受験拒否行動に出るように働きかけをしたもの、すなわち、受験拒否を扇動したものとみるのが相当である。

しかるに、原審は、本件においては以下のような事実が認められるとし、これと中学二、三年生の持つ不安定性や感受性の強い特性とを合わせ考えると、生徒の本件学力調査拒否行動には、被上告人五十川の言動以外にも多くの要因が考えられるのであって、同被上告人が、生徒に対しその受験拒否を故意に扇動したものと認めることはできない、と判断している。

(1) 昭和三六年以来、学力調査に関する問題が書籍や全国紙の論説、記事等として取り上げられてきており、ことに、本件学力調査の実施が近付いたころに学力調査を違法とする下級審判決のあったことや学力調査の弊害を指摘する学力調査学術調査団の調査報告が報道機関によって報道された。

(2) 白紙答案等は他の学校でもみられた。

(3) 日教組や県教組は、昭和三七年から教師が学力調査反対闘争によって処分を受けないようにするため、最終的には職務命令に従って学力調査を実施する、学力調査反対闘争に生徒を巻き込まないとの方針をとってきた。

(4) 被上告人五十川は、昭和三六年以来、学力調査に反対していたためにテスト担当者を命ぜられていなかったが、二年五組の学級担任として、次のことをした。すなわち、川野校長が全校生徒に本件学力調査の実施を告げてその際の注意事項を訓示した六月二二日には、ホームルームにおいて生徒にその趣旨を伝達した。また、本件学力調査第一日目の朝のホームルームにおいて、机の配置を名簿順の並べ方になおさせ、かつ、テスト担当者の指示に従うよう生徒に話した。

(5) 本件学力調査の受験を拒否したり、白紙答案を提出した二年五組の生徒の中には、学力調査の問題について家族の者から話を聞いたり、前記学力調査違法判決や学力調査学術調査団の調査報告の各新聞報道を読んだりして、学力調査を受験することに抵抗感を持ち、同級生あるいは他学級の友人と話合いをしたりした者があった。ことに、被上告人五十川のクラスでは、本件学力調査の数日前の自習時間中に、生徒が学力調査の功罪や受験を拒否するか否かをめぐって討議し、これを受験するか否かは各人が決めるべきことであるとの結論を出していた。また、本件学力調査実施直前には、他の学級でも生徒から学力調査について担任教師に質問があった。

(6) 本件学力調査第一日目の第三時限に教室に入らず受験を拒否した女子生徒一五名については、その受験拒否の直接のきっかけは、休み時間中に、ある生徒が答案用紙に氏名を書かなかったために担当の教師から殴られたといううわさを聞いて憤りを感じたことによるものである。

(三) しかしながら、右(二)の(1)ないし(3)、(5)、(6)及び中学二、三年生の特性を指摘する点は、そのひとつひとつを取り上げても、またそれらを総合しても、安下庄中学校の三年生においては正常に受験しているのに、なに故二年生の特定のクラス、しかも被上告人五十川のクラスにおいて本件学力調査実施の両日とも受験拒否者が際立って多かったのかという疑問に対する回答とはなりえず、これをもって前記特段の事情とすることはできない。また、右(二)の(4)のように、被上告人五十川が担任教師として学力調査の実施に必要な外形的準備を生徒に指示した行為があることと、同被上告人が生徒に対して受験拒否を扇動したこととはなんら矛盾するものではなく、これをもって前記特段の事情とすることもできない。けだし、扇動行為が巧妙かつ隠微に行われる場合には、カムフラージュのため、学力調査実施の外形的準備行為に協力的態度を示すことはむしろ当然であり、このことは、被上告人五十川が、本件学力調査実施の数日前、特定の生徒の家庭のみを訪問し、当該生徒に受験をすすめた前掲(一)の(4)の行為からも裏付けられるところだからである。

(四)してみると、原審が確定した事実関係の下においても、被上告人五十川については、本件学力調査の実施前、教育の機会を利用して、生徒に対し受験拒否を扇動する行為があったとみるのが相当であると考えられるばかりでなく、仮に、多数意見のように扇動したとまでは認めないとしても、被上告人五十川の前記(一)の(2)、(3)の指導行為はそれ自体職務義務違反行為というべきであり、かつ、実際にも、被上告人五十川の担任学級から多数の受験拒否生徒を出し、父兄に深甚な衝撃を与え、学校教育の中立性に対する信頼を傷つけたことはみやすいところである。

(五) のみならず、原審の確定するところによれば、被上告人五十川は、(1)本件学力調査ののち、川野校長から、受験を拒否した生徒に対しその行動が誤っていたことを事後指導すべき旨の職務命令を受けたがこれを拒否し、(2)また、同校長から教案の提出を命じられたにもかかわらず、教育の国家統制につながるとして右命令を拒否して教案を提出せず、(3)更に、日ごろ職場において上司や同僚に対し反抗的態度をとったり協調性を欠く言動があった、というのであるから、公教育の基本にかかわる被上告人五十川の前記違法行為に対し、任命権者が懲戒免職処分をもって臨んだとしても、右行為の性質及び情状に照らし、社会観念上著しく妥当を欠く処分ということはできないものと考えられる。

五  以上のとおり、被上告人らに対する本件各懲戒免職処分は、いずれも社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえないから、本件各処分が懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えこれを濫用した違法のものと断ずることはできないものといわなければならず、その取消を求める被上告人らの本訴請求は理由がないものというべきである。したがって、これと異なる原審の判断は、ひっきょう、地方公務員法二九条の解釈適用を誤ったものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決中上告人敗訴部分は、破棄を免れないものと考える。

(裁判長裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治 裁判官 安岡滿彦 裁判官 長島敦)

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